『新しき世界』(2013) 신세계

DVDで。

ようやく観ましたです。

 

冒頭、どこかで何度か観たようなRed Headのクローズアップからきたので、ああこの手の....と解りかけると、手際よくグレーを咬ませて、青い海へとロングショット、かっ樽いことはとっとと終わらせる? 

詳しくないけれど(己を見て見ぬ振りができる程度の卑劣にわが身を浸してでも虚実ともに暴力的な事どもからは出来得る限り遠ざかっていたいタチ)、『ゴッドファーザー』(1972)あたりから始まるのかな、ホモソーアクションにおける小ネタ(シークエンス)の残虐、衝撃、工作、等々に分類されもしよう技術の洗練度の競い合いは。

しかしスコセッシ、チミノ、香港、タラちゃん、武に三池、そしてクローネンバーグ&ヴィゴのコンビで履歴の走査と今後のだいたいの展望が提示された後(2008~)は、様式美の更なる追求、または社会問題とのリンク、あるいはオルタネイティブな70年代の再発見みたいな感じ? で、そこに周りの国々のスターたちも巻き込みつつ、アクションからダンスの美しさ楽しさへと社交のイントネイションを移動させることで政治や経済との離接の間合いも目測しつつ、いよいよ人を魅惑してやまない杜琪峰先生が、という(ビッグネームだけでうまいこといってやった風にまとめてすんませんすんません....なんせ己を見て見ぬ....)。

そんなふうに、ふーうん最新のホモソーはこうゆう感じかー、ハリウッド経由の香港王道をキタノっぽく折り返してみるとかかな~っと斜めからモニターし始めたのだけれど、いや、この主な二人(と暗あい感じの初老おじさんとギトギト感にうっとりさせられるノーブルな狂犬さん)イイ! なんだこの893スーツよりアントマンの衣装のほうが俺には似合うんじゃないかねえ....とか内心忸怩たりっていそうな川崎敬三は! そんな男が空港に車でお迎えに行ったらならば当然のごとく出てくるのが、夏八木、ショーケン、蟹江(カニエじゃないよ、どっちかっていえばブルーノ・マースを先取り)とかうわごとを連ねそうになる(銀ちゃん!ってなんだっけ?てゆうかなんじゃこれー!!!(と思わず腐れをまねびて興奮状態を装ってみたくもなるような子は!(しかもちょっとジェームス・フランコも入ってるんじゃないの、スゴい....)

ソウル芸術大学演劇科卒、わーなんていい響きだ―

だから(だから?)ストーリーの中の話の筋や画面についてはよく観れていなかったのだけれど、カーチェイスとか音楽の重ね方などは、あーこれはあえて息抜きも必要だよねえと下手にしてさらりと流しているのか、でもそんなことすル必要ある?それとも?などと、wikipediaを眺めつつ、ん?へー『シュリ』にも出ていたんだ―、あの銃撃戦の編集、アメリカ映画ってやはりレベルが違うんだなあとか....思えば遠くに....

でも、あれ?これはひょっとして実に念入りに(何人かの間で、または時差を置いて複数化した脚本家自身の間で)練られたシナリオでは?と集中し始めて、このジャンルの過去の作品への対し方も、目配せ、オマージュというよりは本当に素直に対話があるなあと実感できて(あれもこれもと天丼されるモチーフの扱い方はその作品と作品間の対話において交錯する手と手のささやかな触れ合いのよう、実にメルヘンチック!)、じわじわと感動してきたところに、あーこれは分かってたってやつでしょ、分かってましたよ、っとなったところでこの、小道具の、この、差し出し方は、どうだ!、え?どうだ!!

と、ここで降参、ワレ投了セリ。

この後もいろいろあって、その上にいろいろあったが、いい感じで観終えることができました。

シンボルが変化していくことの政治との絡まりあいの扱い方もスマートでかっこよくてねえ....

他に、もしかして他にも、このくらいハイレベルのブツがあるんやったら、どうか、ぜひ教えていただきたい、と虚空に一礼二拝である。(やっぱり『秘宝』なのかなあ? でもいわゆるボンクラ感はない、というか、むしろ反対に、いかに社会、というか世の中に、その隅々にまで、もう気づいた時には完全に手遅れであるような形で何かが根を張りめぐらせてしまっているのか、についての怒りとシニシズムの相殺過程についての学び)