清岡卓行『フルートとオーボエ』(1971)

「フルートとオーボエ」(1970)

1.

プロ野球の試合日程の編成から大学のフランス語教師へ。

(左利きの)(俎板の上で、殻のついた牡蠣の口を、ひとつひとつ)

(昨日の夕ぐれとも、一昨日の夕ぐれとも、)(明日の夕ぐれも、明後日の夕ぐれも、)

 

(それらのノート。手垢や埃でかなり汚れ、青や赤のインクのしみがついていたり、背中が)

(骰子の転がり方ひとつで決められるような、無残な別れ)

 

2.

禁酒、禁煙、春から夏

(その扁桃腺の手術のときのことは、ユーモラスな思い出として)

(葡萄糖の注射で元気が出た)

(「家が狭いだろ。だから、ピンポンのラケットと球だけ買ってあげるよ」)

 

(二月中旬ごろから三月初旬にかけての、冬の終わり、あるいは春の始めといった感じの自分が一番)

(同じチームの選手が紅白の二組に分かれ、)

(ついで、都市を移動しながら、他ティームとのいわゆるオープン試合を、なかば商売をかねて)

 

(彼女のそうした、ほのぼのと匂わしい、魅力的な裸を、それとなく眺めるのが、)

(飛行機が、彼の家の上空を)

www.youtube.com

Mozart - Oboe Concerto in C, K. 314 / K. 271k

(爆音がレコードの音楽をほとんど)

 

3.

(垣根には燕 庭には連翹の花)

 

4.

(そのアルファベットの大文字の数は、どうやら六つだ。動き回っているそれらの顔は、G、S、W、D、T、C、というふうに読める。ときどき、PとかRとかAとかが、加わったり消えたり)

(梅雨だろうか? 台風だろうか? それとも、秋霖だろうか?)

 

(「競輪は、儲かりますか?」)

(「ええ、儲かります」)

 

5.

(柱廊のようなところを通って、彼は内部のグラウンドに降り立った。ざらざらとした盲目の鏡のような土の色が、眼にしみる。)

(七分通りか、五分通りぐらいの)

(ビールでも飲みながら、ときたま横に寝そべったりして、のんびりと)

 

(ダイヤモンドの周囲をぐるぐる)

 

6.

www.youtube.com

Mozart-Flute Concerto No 1 in G major, K 314

(あるいは少しばかりの自惚れが含まれているかもしれない想像を、)

 

 

 

「萌黄の時間」(1970)

1.

(〈そうだ、手は、物を投げるためにあるのだ!〉)

(空の青と海の紺が接している)

(一九三三年夏の、大連の一つの郊外、黒石礁の浜辺である。)

 

(それは、日本内地で一番速い特急〈つばめ号〉のスピードを、大幅に)

(まんまるい月の中に、兎が餅を)

(茶色にうすく桃色がかっているような大きな珪岩に、堂々としたライオンの横顔の)

(血を吐き、死んでいた)

(血を少し吐いて、動かなくなっていた)

(星空を背にした大きく白い衝立に、いくらか古い外国のサイレント映画を)

(電気遊園)

(ヤマト・ホテルの夏のルーフ・ガーデン)

(鶏のマークの映写機)

(そのヨーヨーをポケットに入れてしまいなさいと、彼は一番下の姉からたしなめられ)

(ピアノの音が絶え、シェパードがはげしく吠えはじめた)

(〈アウト・コースの低目に、速い球を投げたら、打たれない〉)

(とにかく、気づいてみたら、わりあい新式の飛行機になっていたのであり、そのことは彼にとって、満更でもな)

(左右の翼を気持ちよく感じる)

 

(王八!)

(〈お母さん!〉)

 

2.

(それは、十字架の隙間が、くりかえし横に並んで現れてくる、いわば幾何学的な)

(つまり、いくらか洒落すぎていて、不用心な模様である。)

(最初の絵を手本にした、彼の二度目の絵は、しかし、前のものより、)

 

(〈黄色い恐怖〉)

 

晴雪梅花照玉堂

春風楊柳鳴金馬

 

車行千里

人馬平安

 

(紅い紙と黒い字で、ほのかに魅惑的な匂いのように、そっと)

(怒った顔して)

(にこにこ顔のも)

(戎克ジャンクの白い帆と、マストの上にひるがえる紅い旗)

 

(二年生の終わり頃の二月、彼は危うく死にそうな体験をした。)

(なんともわずらわしい遠廻り)

(それらの二つのちがいを思っていると、彼は世の中がわからなくなって)

 

(桜桃なら桜桃、消しゴムなら消しゴム)

 

(青泥窪)

 

(「ロシヤパン! ロシヤパン!」)

 

(蒐集の趣味は、あるともないとも)

(無駄なわざ、空しい遊び)

(素朴な生活)

(九、十一、あるいは十三枚)

(いわばそうした遊びが密かにかたどっているような、名づけようもないふうどの中にいるというふうに、一瞬)

(ラジオのアンテナを支えている大きな柱に印をつけ、それを野球のバットで)

 

(頑なでさびしい愛着)

(秋が終わろうと)

(〈あじあ号〉)

(蓖麻子油を飲まされずに、綺麗に直ってしまったようなぐあい)

 

 

 

「小説についての断片」(1970)

(〈私が現在意識している自分の小説の世界とは、少し改まって言えば、自分のある場合のポエジー(それはしさくひんではない)に対する具体的な批評が、いくつか、おのずから構成的に集合して、一つの統一体を形づくる磁場である〉)

(〈一方においては、音楽のようにすっきりとした構成と持続をもち、もう一方においては、部分的あるいは要素的に、いわゆる小説らしい構造からなかばはみでるところの、生臭い記録性をもつこと〉)

(〈moderne〉)